Kihachiro
Onitsuka,
A
Portrait
of
the
Pioneer

鬼塚喜八郎という、
パイオニアの肖像

戦後の混乱期に靴づくりを志し、社員わずか2名から始めた「鬼塚株式会社」。世界的なブランドを一代で築き上げた、不屈の魂をもつ創業者、鬼塚喜八郎の素顔に迫る。

鬼塚喜八郎が、スポーツシューズをつくるために「鬼塚株式会社」を立ち上げたのは、まだ戦後間もない1949年のこと。古代ローマから伝わる、「健全なる身体に健全なる精神が宿れかし」という言葉に衝き動かされた鬼塚は、青少年の心身の育成のためにはスポーツが不可欠であり、その普及こそが自分の務めであるという信念のもと、一からスポーツシューズの製造に取り組んだ。
しかし、スポーツに関してはもとより、靴づくりに関してもまったくの素人だった鬼塚のビジネスは、文字通り試行錯誤の連続だった。鬼塚が最初に取りかかったのは、当時のスポーツシューズ製造において非常に難しいと言われていたバスケットボールシューズだった。開発を提案された高校の監督に試作品を届けると、「ワラジのようだ」と床に叩きつけられた。その日から鬼塚は高校の体育館に通い詰め、球拾いをしながら選手たちの足の動きを観察し、彼らから直接意見を聞いた。そして、ソールのグリップ力を向上させるためにタコの吸盤に着想を得た靴底を考案したが、今度はグリップが効きすぎて、ひっくり返る選手が続出した。さらに微調整を重ねてようやく完成したのが、鬼塚式タイガーバスケットシューズだ。そのシューズを履いて大会に挑んだチームは、見事優勝を勝ち取った。
その後、鬼塚のスポーツシューズは、数々の国際的なスポーツ大会でトップアスリートたちの活躍を支えていくことになる。しかしどれだけ舞台が大きくなったとしても、鬼塚の靴づくりの思想は変わらない。常にアスリートファーストな姿勢で課題と向き合い、研究と試行錯誤を繰り返していくことで、最後にはイノベーティブな新技術を生み出していく。
「難しいものから始めれば、あとはなんでもできる」――それが鬼塚の口癖だった。不可能に思えることでも、果敢にチャレンジして独自の道を切り拓いてきた鬼塚喜八郎の魂は、今日もオニツカタイガーとともにある。

Kihachiro Onitsuka

鬼塚喜八郎
創業者

1949年に鬼塚株式会社を設立。77年に3社合同でアシックスを設立。社名は「もし神に祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかしと祈るべきだ」という意味のラテン語の頭文字から命名。
2007年に89歳でこの世を去るまで、オニツカタイガーのシューズを履いて散歩に出るのが日課だったという。

鬼塚喜八郎の愛した言葉

神戸にあるアシックス本社の資料室には、鬼塚喜八郎の執務室を再現したスペース(非公開)が設けられている。大きなデスクの上には、鬼塚が生前に肌身離さず持ち歩いていた、小さな手帳が置かれている。使い込まれた革の表紙を開くと、中には鬼塚が日常の中で、人との会話や、本や雑誌、テレビなどを通して出会い、深く感銘を受けた言葉の数々がびっしりと書き込まれている。資料室の壁面にも、そんな言葉の数々を書き上げた鬼塚直筆の書が大量に掲げられており、それらに目を通していくだけでも、鬼塚の実直でチャレンジ精神に満ちあふれた人柄が見えてくる。

遡れば、鬼塚がスポーツシューズの製造を決意した時も、そこには「健全なる身体に健全なる精神が宿れかし」という言葉があった。たとえ不意の病に倒れても、たとえ試行錯誤の末に失敗が続いたとしても、「ころんだら、起きればよい。失敗しても成功するまでやればよい」という言葉が、鬼塚に何度でも這い上がる活力を与えた。
無謀とも思えるチャレンジを目の前にしても、「今やらねばいつできる、わしがやらねばだれがやる」または「志のあるところ道拓らく」といった言葉の数々に背中を押され、臆することなく大きな目標に挑み続けてきた。
鬼塚が愛した言葉はどれも単刀直入で、ポジティブに前に向かって突き進んでいく、普遍的な力を備えている。
75年の歴史の中で、鬼塚が世に生み出したシューズやウエアを身に纏ったアスリートたちは、幾度となく国際的な舞台で世界一の栄冠を手にしてきた。
鬼塚のブランドは世界中でショップを展開し、あらゆる人種や世代のファンを魅了している。鬼塚は自身が感銘を受けた言葉をそのまま人生やビジネスのモットーとして掲げ、それに導かれるように、信じた道をまっすぐに突き進んだ。日本が世界に誇るブランドの大きな躍進の裏には、失敗を恐れないチャレンジ精神と、それを支えたシンプルで奥深い言葉の力があった。